新じゃがの季節がやってきます。
そこで、今回はじゃがいも料理の定番「ポテサラ」を大研究!
素朴な料理なのに、実は奥が深く、目立たないようで、誰からも愛される名脇役「ポテサラ」。王道ポテサラの作り方はもちろん、おうちやお店で作られている「ポテサラ」のワザをたくさん集めました。いつもの「ポテサラ」もいいけど、たまには違う「ポテサラ」に挑戦してみてはいかがですか!?

各国文化がミックスして誕生。世界に誇れる日本の「ポテサラ」

居酒屋、焼鳥屋、バル、和食店、定食屋にコンビニまで、ポテトサラダを提供している場所は数知れず。
それだけわたしたち日本人に身近な料理として親しまれてきた「ポテサラ」。
シンプルなものもあれば、具材たっぷりで“まるでご馳走!”と思えるようなものまで「ポテサラ」は店や家庭によって、姿や形、味が異なる変幻自在なメニューです。
そんな「ポテサラ」に日本人はいつ出会い、どう発展させてきたのでしょう?
「日本のポテトサラダ史」を辿ってみましょう。



じゃがいもは観賞用!マヨネーズはポマード!?

 「日本のポテトサラダ史」。それを語る上で欠かせないのが“じゃがいも”や“マヨネーズ”との出会い。
日本にじゃがいもが伝わったのは、江戸幕府が開かれる5年前、1598年のこと。オランダ人が長崎に持ち込んだのがはじまりでした。芽に毒があったことから、当時は“観賞用植物”とされていたのだとか。その後、様々な品種のじゃがいもが日本に持ち込まれ、明治時代には北海道開拓をきっかけに栽培されるように。男爵やメークインが作られはじめました。

 また、日本のポテサラに欠かせないマヨネーズはスペインが発祥。1756年、イギリス領だったスペイン・メノルカ島に攻め入ったフランス人公爵が、港町・マオンのレストランで、勝利の祝いにと、クリームと卵で作ったソースを使った料理を出すように指示します。しかし、その店にはクリームがなく、オリーブオイルで代用。そのソースをいたく気に入った公爵はパリに戻り、「マオンのソース=マオンネーズ」として紹介。その後「マヨネーズ」と呼ばれるようになったそうです。その美味しさは世界に広がり、アメリカに滞在していたキューピー株式会社の創始者である中島董一郎氏も注目。帰国後、創意工夫を重ねて改良し、大正14年、「キューピーマヨネーズ」が誕生しました。当時は「マヨネーズ」という言葉も知られておらず、ポマードと間違えて髪につける人もいたとか!発売からほどなく、マヨネーズは日本の食卓に欠かせないソースとしての地位が確立。ポテサラの認知度も高まっていきました。



西洋料理からお惣菜へ。今やすっかり国民食!

 さて、いよいよポテサラの歴史です。実はマヨネーズを使ったポテサラが誕生する以前に、日本にはポテサラ風の料理が誕生していました。明治29年発行の「西洋料理法」という本には、「茹でて薄切りにしたじゃがいもにレタスの葉を混ぜてドレッシングを添える」といった調理法が、明治43年発行の「西洋料理教科書」には「薄切りにした茹でじゃがいもに、スライス玉ねぎをのせ、からしを加えたドレッシングで和える」というレシピが紹介されています。つまり、ポテサラ黎明期の味付けはドレッシングでさっぱりといただくのが主流でした。大正時代には、帝国ホテルなどの高級ホテルでも作られるようになり、徐々にドレッシングだけのものから、ドレッシングとマヨネーズを両方使ったもの、マヨネーズオンリーのものへと発展していきました。

 また、黎明期の具材はシンプルでしたが、昭和に入ると徐々に具材も豪華に。明治期に伝来し、角切りの野菜をマヨネーズで和えたフランスの「マセドニアンサラダ」や、帝政時代に誕生したロシアの「オリヴィエサラダ」などにヒントを得て、野菜やゆで卵、ハムなどを加えるスタイルができあがったと言われています。特にじゃがいもと鶏肉などの肉類、茹で玉子、グリーンピースなどがマヨネーズで和えられた「オリヴィエサラダ」は、日本のポテサラによく似ており、原型とも言われています。
 さまざまな歴史の変遷を経て、日本で独自に進化したポテサラ。各国に似た料理はあれど、日本ほど手間暇かけ、多彩にアレンジされたポテサラはないのではないでしょうか。そのうち、「鮨、天ぷら、ポテサラ」といった具合に、日本を代表するメニューとして知られる日が来るかもしれません!