「今日はお好み焼きにしよう!」と言うと、家族みんなが大喜び。
お好み焼きは、手に入りやすいシンプルな材料でおうちでも簡単に作れて、栄養バランスもばっちり。
なにより、みんなで作って食べる、楽しさいっぱいの団らんメニューです。
今回は、関西風と広島風、2つのお好み焼きの魅力に迫ります。



江戸庶民も、令和庶民も笑顔にする 粉ものの王様「お好み焼き」

江戸時代から今に至るまで、時代の変遷とともに形を変えながら庶民に愛されてきた「お好み焼き」。
子どものおやつから、国民食までに上りつめた、その歴史をのぞいてみましょう。

はふはふと熱々のお好み焼きを頬張る幸せは、今も昔も目減りなし!

 大きく解釈し、粉を溶かして火を加えたものを「お好み焼き」と呼ぶならば、そのルーツは諸説ありすぎるほど(千利休がお茶菓子として作らせた“麩の焼き”という説も!)。しかし、歴史を遡ってみると大衆文化が花開いた江戸・文化文政時代にその原点を見出せます。当時、子どもたちがお小遣いでおやつを買って食べるようになり、蜜を加えた小麦粉を焼いた「文字焼」が庶民のおやつとして人気に。職人が技を競い、中には3Dタイプの「文字焼」をつくれる職人もいたそうです。



 しかし、明治に入ると工業の発達により、鯛焼きや人形焼といった鉄の焼き型を使ったお菓子が台頭。大正期になると文字焼は衰退し、屋台店主たちは当時流行していた洋食へと舵を切りなおします。当時、洋食の主力調味料はウスターソース。水で溶いた小麦粉と肉、キャベツなどを焼き、ソースで味つけたどんどん焼や、青ネギと醤油を使った一銭洋食など、お好み焼きは子ども向けのおやつから大人のための料理として発展し、全国へと広がっていきました。



 昭和に入ると屋台から店舗へと営業形態も変わっていきます。しかし、戦争が始まると外食産業は衰退。終戦後、気軽な材料で作れて、空腹を満たせるお好み焼きは闇市で復活します。特に広島では戦争未亡人が手がけることが多く、お好み焼き店に「○○ちゃん」と名前がついているのは、その影響とも言われています。
 時代の変遷とともに、さまざまに形態を変えながらも、愛され続けてきた「お好み焼き」。もしかしたら未来には、今の私たちが想像もつかないような「お好み焼き」が生まれているかもしれません。